シリーズ/死後の動物達
「じゃあ、いってきます」②
~シリーズ/亡き動物達からのメッセージ~
①の続き
ミィくん(愛称)の場合
亡き愛鳥のミィくんは、老化に伴う疾患が元で今生を終えました。
長年共に暮らしてきた家族であり大切な相棒であった子が、ミィくんを残し老齢でこの世を去ってしまい、その3ヶ月後にミィくんも疾患を発症してしまいました。
ミィくんも亡くなった子と同い年でしたので、すでに高齢期に入っていたとはいえ、まだまだ若々しく、このままずっとこの先も元気に長生きしてくれるだろうと思っていたのに、友達を亡くした淋しさが衰えの引き金になってしまったのかもしれません。
約半年に渡る投薬治療となりましたが、亡くなる数時間前までご飯も普通に食べ、病による不自由さはあれど、最後まで元気に過ごしてくれました。
でも闘病中の薬の副作用による免疫低下が背景にあったのか、当日に急に肺炎のような症状が出て、お薬も効かず、最期の数時間は苦しいものとなりました。
そのせいもあってか、亡くなった後、約1日の間は、彼の魂も疲れて丸々眠っている状態であったようです。
でもそれでひとまずは回復したのか、まるで熟睡から目覚めて活動し始めるように、気配を感じるようになりました。
まず最初に気付いたのは、亡くなってから26時間ほど経った翌日の早朝でした。
生前、いつも私の枕元の頭側にある、本人お気に入りのマイルーム(鳥かご)で寝ていたミィくん。
早起きのミィくんはいつも空が白み始めると早々にごそごそしだして、朝一番のご飯を食べ始めます。その音で目覚めるのが、私の日常でした。
その日もちょうどそれ位の時間でした。
いつものようにミィくんがご飯を食べている音で私は目を覚ましたのです。
つい2日前まで、それはあまりにも慣れ親しんだ日常だったから、何の違和感もなく、「ああミィくんが起きてご飯食べてる」とぼんやり思っていたのです。
でも次の瞬間、違う、ミィくんはもう居ないと現実に気付いて、ハッと起き上がると、まるでそれに驚いて食べるのをやめてしまったかのように、もう音はしなくなりました。
空耳だとか寝ぼけていたとかの類ではありません。確かに、いえ、むしろそこにいるのが当たり前のように、あまりにもはっきりと聞こえたのです。
だから、あれは紛れもなくミィくんだったんだと思いました。
ああ、ミィくん元気になったんだ。もう苦しいのからは解放されたんだ…
良かった…涙が溢れました。
そしてその後もミィくんの気配は続きました。
次に気付いたのもやはり音で、それは、くちばしをこすり合わせる音でした。
インコは寝る前やリラックスした状態の時、上のくちばしと下のくちばしをギシギシと歯ぎしりみたいにこすり合わせます。
下のくちばしが伸びるのを防ぎ整えるメンテナンスのようなもので、私は個人的に「くちばしぎしり」と表現しています。
これは元気で健康であるバロメーターでもあり、精神的にもリラックスし、肉体面でも調子が良い証です。
ミィくんも、生前いつも、まったりとくつろぎながら、くちばしをギシギシ鳴らしていたものです。
それは、ご飯を食べている音を聞いた日の夜だったと思います。
このくちばしぎしりの音が、いつもミィくんが好んで居た場所から、びっくりするくらい、はっきりと聞こえたのです。
食べる音と同様に、それはあまりに普通に自然に、生前と何ら変わらず聞こえたものですから、きっと時間にしたら数秒なのでしょうが、朝と全く同じように、最初は頭の中で普通に聞き流して、そこで、ハッと「え!?」と気付くのです。
一瞬、ミィくんが死んだことを忘れて、まだミィくんが生きていた日々の日常の中に自分がいる錯覚を起こすほど、音もクリアで、とにかくそれほど本当に普通だったのです。
でも再び、気付いた時に音は消えてしまいました。
ミィくんが1人になって淋しかろうと、ミィくんのお友達に迎えた他の同居の鳥達は、私の背後である反対側にいて、その子達の音ではないのは明らかでした。
そしてその後も、それは数日に渡り何回か続いて、いずれもあまりに普通に聞こえるものだから、霊聴ってこんなに普通に聞こえるもんなんだと、ちょっと面食らってしまうほどでした。
これまで亡き動物達の声が聞こえたことはあるのですが、音としてここまではっきり聞こえることは、そうそうは無かったので、恐らくミィくんは音で伝える能力に特に秀でていたのかもしれません。
それは私にはとても嬉しいことでした。
彼が苦しみから解放されて、今は穏やかに、生前の元気だった頃と同じように過ごしながら、ここにいる。
それがわかったことで、どれだけ心が救われたか。
愛する動物達を亡くした時は誰しも、「ああしていれば良かったんではないか」「もっとこうしていれば良かったかもしれない」と、どんな亡くし方であっても、大なり小なり後悔はついて回るものです。
時には自分が至らなかったのではないかと自分を責め、苦しみます。
それも亡き存在をそれだけ愛していたからこそ。
私もまた同じように、どの子を亡くした時も、「もっとどうにかしてあげれたのではないか」と、自問自答しては自分を責め悔やんでしまいます。
愛する存在が苦しむ姿は、何よりもつらい。
身も心も、魂までも、切り刻まれるような苦しみがある。
ミィくんの時も、老いは避けられないものだとしても、最期の時が苦しいものになってしまったのは、何か私に至らぬところがあったからではないかと、あれこれ考えては悔いてみたり、自分を責めたりもしていました。
きっとミィくんは、それも全部わかっていて、もう元気になったことと、心配しなくても大丈夫だということを、音という自分の気配を通して、私に伝えようとしてくれたんだと思います。
でも、今もここにいる。これまでと何も変わらず。
そう思うと、出来ることならば、1日でも長く、どうかこのまま居てほしい、という思いもよぎります。
手の届かない遠いところに行ってしまわないで。
そんな思いも強まります。
でも旅立ちの日は、もうすぐそこに近付いてきていました。
それを察した四日目の夜、ミィくんがまだ居るうちに、自分の思いを全て伝えておきたいと思いました。
ミィくんが寝るために自分の鳥かごにいつも戻っていた時間帯。
私は、居るべき主を無くして、やけに広くガランとしてしまった鳥かごの前に座りました。
そして今は姿の見えぬ愛しいミィくんに語りかけました。
側に居る時は、居ることが当たり前のように思えて、時に人は、その日々がどれだけかけがえないものなのかに気付かずにいる。
どれだけ救われてきたか、どれだけ大切な存在であったか、失ってみて初めて痛いほどに気付かされることもある…
私もミィくんに対して、そうだったのかもしれません。
ミィくんは病気になるまでは、いつも本当に元気で丈夫で、健康面で不安を感じることは一度もありませんでした。
ミィくんは年を取ることも死ぬことすら無いんじゃないかとさえ思えるほどでした。
だから私はいつも安心していられた…でも反面、いつまでも側にいると安心しきってもいた。
ミィくんもいつかこの世を去る時が来ることを実感できないまま、その存在が私にとってどれほど大きなものなのか、わかっているようで、その実は、自分が一番わかっていなかったのかもしれない。
ミィくんのその明るさが、どれだけいつも私を救ってくれていたか。どれだけかけがえない存在であったか。
彼を失った今、私は打ちのめされるくらい思い知らされている。
そんな思いをひとつひとつ言葉にしていきました。
色んなごめんねと、たくさんのありがとうと、愛していることを、涙をこらえて一生懸命伝えました。
それは彼の旅立ちを前にしての、自分の心の整理でもあったかもしれません。
30分ほど、そうしていたでしょうか。
伝えたいことを、今の自分の全てで伝えました。
最後にミィくんの鳥かごを、そっと撫でて、静かに頬を寄せました。
その翌朝。
いつもミィくんが起き出していた時間帯。
眠りから覚めようとする私の頭の中で、何かの言葉が繰り返し流れていました。
それは頭の中のテレパシー受容体で自動翻訳された言葉を、私が気付くまで脳が繰り返し流しているような感じでした。
ん?何だ?
天からか守護存在からか、はたまた精霊達からか、聖なる何かからたまに来るメッセージを受信したのであろうことに気付いた私は、その言葉を拾おうと意識を向けると、頭にその言葉が鮮やかに浮かび上がり、口からも自然とこぼれ出しました。
『あとは任せた』
再び、ん?これは何?一瞬そう思った私でしたが、次の瞬間、まるで言葉が光に包まれるように感じたと同時に、涙が押し寄せてくるのでした。
「ああ、これは同居の残った弟分の鳥達にミィくんが託した言葉だ。
この言葉を置いて、ミィくんは旅立ったんだ」
それがミィくんの、じゃあ、いってきます、の言葉だったんだと私にはすぐにわかりました。
昨夜、私が伝えた想いを聞き、自分が居なくなった後の私の悲しみが少しでも癒えるよう、「これからは君らが僕の代わりに側にいて守ってやってくれ」と、仲間に私のことを託したのでしょう。
ミィくんらしいなと思いました。
こうして、ミィくんは亡くなってから五日目の朝、天で待つ友達の元へ発って行きました。
この日を境に、その後ミィくんの気配もぱったりと無くなってしまいました。
それから1ヶ月程経った時に、私は守護存在達からミィくんのメッセージを受け取りました。
でも、ミィくんが旅立って以降、それまでの間の私は、ミィくんを想ってはミィくんの最期が浮かび、胸がかきむしられ、いまだ毎日のように「ああしておけば良かったのだろうか、こうしておけば違っただろうか」と、繰り返し考えてしまっていました。
どうしていても結果は同じであっただろうことは感じていました。
試行錯誤しながら四苦八苦しての、必死の手探りでの闘病治療ではあったけれど、私の祈りに応えてくれた天の助けによって、その時に出来る最善の選択を、その都度にさせてもらえたのであろうことも、自分の内ではわかっていました。
結果としてそれが、死の前日まで、ミィくんが穏やかに元気に過ごせたことに繋がったことにも、天に感謝していました。
ちゃんと全ての答はすでに知っていたはずだったけれど、でも、それでも、闘病中の日々の細かなひとつひとつまで引っ張り出して来ては、もっと良い策が他にもあったのではないかと、考えずにはいられなくなってしまっていたのです。
ミィくんも、きっとそんな私を見かねていたのかもしれません。
そんな折りに、私は期せずして、ミィくんからのメッセージを受け取ることとなった訳です。
よほど天で待つ大好きな相棒に早く会いたかったのか、通常は四十九日の間ぐらいは幽界にいるものであろうに、ミィくんは1ヶ月たたずに天に帰ったようで、どうやら、その節目に私へメッセージをくれたようでした。
それはきっと、2度目の、そしてこれがある意味、本当の、「じゃあ、いってきます」だったのかもしれません。
それはこんなメッセージでした。
守護存在達からはこんなことを伝えてもらいました。
『ミィくんはとてもしっかりした強い子。
芯があって、ものすごく強い意志を持っている。
あれこれ思い悩む貴女の、そのずっと遥か上に彼の意識はある。
彼は病気のことや最期のことは全く気にしていないのに、貴女は自分の心残りで自分を責めている。
病気で死ぬこと
病気の意味
天寿を全うすること
それらを彼は全て理解している。
彼自身、自分の命が終わることをちゃんとわかっていて、納得して静かに受け入れていたけれど、貴女が苦しむことをわかっていたから、苦しみを避けてもっと早くに静かに命を終わらすことも出来たけど、あえて苦しみを負うことになっても、貴女のために、最後の最後まで1日でも長く、もう本当にこれ以上は無理というところまで、生きることに真正面から立ち向かった。
貴女がいろいろ模索しながら、睡眠時間を削っての看病していたのも、ちゃんとわかっていたからね。』
…と。
ああ、確かにそうだ。
ミィくんは、本当はどの子以上に、手で捕まえられるのが嫌な子だったのに、闘病中の投薬は、直接口に入れなければならない薬だったから、1日2回、毎日手で捕まえなければならなかったけれど、嫌がって噛んだりすることも無く、意外なほど抵抗もせずにいつも素直に薬を飲んでくれていた…
それは、私のために1日でも長く生きようとしてくれていたからこそなのかもしれない。
わかっていたはずなのに、悲しみに目を向けてばかりだった…
そう思いました。
そしてミィくんからのメッセージは以下でした。
『病気で死ぬのも寿命。
どんな方法であり、タイミングであり、それは僕の寿命だった。
最後はやっぱり苦しかったけど、何の後悔もない。後悔する生き方もしていない。
病気で突然死ぬことも、天寿を全うすることも同じ。
病気そのものには、本当は意味が無いから。
死んでしまったのは、避けられなかったこと。
(病気になる前も、病気になってからも)僕はけっこうマイペースに生活してたよ。
(病気になってからの時も含めて)本当に大切に時間を過ごしたはずなのに、後悔するのは、おかしい。
僕は楽しかった。
いい一生だった。』
と…
ありがたかったです。
ただ、ただ、本当にありがたかった。
守護存在達にも、ミィくんにも。
いくら本当は自分でもわかっていても、悲しみや自責の念が一人歩きしだしてしまうから、こうして伝えてもらったことで、悲しみに曇らせてしまっていた自分の目を晴らすことが出来ました。
そして、ミィくんの思いを受け取って、私はひとつ思い出したことがありました。
それは確か、ミィくんが亡くなる2日ほど前だったと思います。もしかしたら、それより前だったかもしれません。
『いい一生だった。楽しかった』という言葉が頭に飛び込んできて、ミィくんの思いをテレパシー的に感じ取ったことをすぐさま察したけれど、まるで、さよならを言われているみたいで、「まだそんなこと言わないで、まだ元気でいて」という思いから自分の中で、気付かなかったことにして否定して、その言葉を封印してしまっていたのです。
改めて振り返ると、その時からすでにミィくんは、自分の命の灯が消える時が近付いていることをわかっていたんだなと思います。
だから静かに、共に生きたこれまでの日々を振り返って、その時が来る前に私にその思いを伝えようとしたのかもしれません。
あの時は受け止められなかった言葉が、ミィくんが天に帰った今、こうしてまた私に届けられた。
そして、今はその言葉がこんなにも胸に染みる。
今はこんなにもありがたい…
そう思いました。
私は救われました。その時、本当に。
こうして、二度のいってきますの言葉を残してくれたミィくん。
ミィくんを亡くした悲しみから救ってくれたのは、やっぱり、他でもないミィくん自身でした…
ちなみに、後に残る弟分達にミィくんが託した『あとは任せた』という思い。
その思いに応えるかのように、残った子らはミィくんの旅立ちの後しばらく、偲ぶようにミィくんの声やお喋りを真似て聞かせてくれて、彼らもまた天のミィくんと共に、一番つらかった頃の私の淋しさをずいぶん癒やしてくれました。
でも私の悲しみが和らいでいくと共に、彼らの真似鳴きもいつしか自然に無くなっていきました。
そうして私の日常もまた新たな時を少しずつ刻んでいきました。
あれから、いくつも季節が過ぎ、時も流れたけれど、私は今でもミィくんや亡き愛鳥達の遺影の側で眠っています。
ミィくんの鳥かごも、今も生前と変わらず、そこにあります。
今も彼らが恋しいです。
でも、今は、見えない絆でこれまで以上にもっと強く繋がっていることも、いつも感じています。
前回の①でも記したように、亡き動物達は、『これからは、僕が、私が、大きな力となって、みんなを守る。』そんな新たな使命を抱いて天に帰って行きます。
愛する家族の悲しみも、彼ら自身が、天からの愛の力で癒やそうとしてくれるものなのです。
ミィくんは音にしろ思いにしろ、伝える能力に長けていたというのはあれど、例え伝えるのが苦手な子であっても、鑑定をしていると、やっぱりどの子も、同じようにこんな思いを持っていて、悲しむ家族に伝えたいと願ってもいます。
ですからミィくんの事例はきっと、愛する動物達を亡くした全ての方達の状況にも当てはまることなのではないかと思い、今回取り上げさせて頂きました。
その子を亡くした悲しみは、きっとその子自身が癒やしてくれる…
少しでも愛する動物達を亡くされた方のお悲しみが、亡き子からの愛によって救われ癒やされることを、心より願っております。
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