シリーズ/死後の動物達④

シリーズ死後の動物達

 

 

 

 「じゃあ、いってきます」③
~シリーズ/亡き動物達からのメッセージ~

 

②の続き

私が動物達の魂の姿を視ることが出来るのは、彼らが天の管轄である幽界に入ってからです。
幽界に入る前の物質界にいる間は、その姿を実際に肉体の目では視ることが出来ません。

でも彼らに伝える力があれば、脳内のテレパシー受容体を通して、情報を受け取り、それを脳内で視覚化することが出来ます。
それは「第二の目で視る」ようなものと言えるかもしれません。

今回はそんな事例を取り上げたいと思います。

が、その前に、ではそのテレパシー受容体って何かということを、予備知識として触れさせておいて下さい。

クローバー
クローバー
クローバー

一般的に霊視と言われるものにそれが該当するのかどうかわからないけれど、私の場合はちょっと特殊な視(み)方をしていて、脳の中のテレパシー受容体で受信したデータが、瞬時に解析され言語に自動翻訳されたり、映像が自動再生されたり等々、感情や状況を含む全ての情報が丸ごとポンっと送られてきて、受信と同時に脳にアウトプットされるのです。つまり受けた瞬間にはもう全てを理解出来ていたりもする。

それはまるでパソコンみたいだと私はよく表現します。
高速通信で膨大なデータを瞬時にやりとりしてるようなものですから、正に脳内のパソコンとインターネットです。

動物達はこのようなテレパシー的な伝達手段に人間よりも長けていて、動物達同士、言葉は持たなくとも、こうして思いや情報をやりとりしている場合もあるのではないかと思います。

太古、人間も元々はそうだったのでしょうが、文明の中で生きるうちに徐々に言葉が主になり、テレパシー的な器官も休眠してしまったのではないかと思います。

でも休眠しているだけで、今も変わらずその器官は備わっており、本来は誰もが使えるものだとも思います。

そういう意味では私は何も特殊なのではなく、ただ単に動物達に近いだけなのかもしれません。

さて、そんなテレパシー受容体ですが、ちょっと面白いこともありました。
ある日、突然ふわっと桃の香りに包まれて、あ、これは誰かから桃が届くなと思ったら、案の定サプライズで桃が届きました。

また後日も同じように桃の香りがしたらやっぱり届いたり、桃だけでなく別の物でもそういうことがしばしばあります。

どうやら、このテレパシー受容体は香りも受信・再生するようで、恐らく、桃を送ってくれた人の意識、例えば「もう届く頃かな。喜んでくれるかな」というような思いをキャッチして、脳のテレパシー受容体が桃の情報としての香りを再生したのではないかと推測しますが、もしかしたら近い未来から情報をキャッチした可能性もあるかもしれません。

いずれにしろ、こういう時には、実際に鼻で香りを感じるのと似てるけど違っているというのが特徴で、表現するのが難しいのだけれど、それは鼻の奥の方で感じているようでもありながら、頭の奥で感じてるようでもあって、本来の嗅覚と違う第二の嗅覚を通して身体全体で感じているといったふうです。

本来、人間が香りを感じるのも、実は脳で一度解析され、そこで初めてどういう香りかを認識出来ているみたいですので、理屈で言えば、実際その場にその香りが無くても、脳に香りの情報を送れば、あたかもそこに香りがあるように感じることも出来るのかもしれません。
テレパシー的に香りを感知するのも、それと同じような仕組みなのかもしれませんね。

また、ふと誰かのことが頭に浮かんだら、数秒後にその人から電話やメールが来るということも日常的によく起こります。
例えば、人が誰かに連絡しようとした際、相手に意識を向けます。その瞬間に意識は相手にも飛んでいるということです。私の場合はそれを感知している訳でしょう。

こういう経験は案外多くの方がしているのではないでしょうか。
それだけテレパシーは、実のところは身近なものであるという証です。

さて、私のこの脳内のテレパシー受容体は、嗅覚以外にも聴覚や視覚や味覚や触覚など五感の情報も再現してくれるのですが、時に思わぬものを見せてくれることがあります。

それは、実際に目で見ている現実の映像とは違う、第二の視覚で視る映像です。それが同時に重なって見えるという現象が起きることがあります。

これは他の五感に比べて特徴的な現象のように思います。

冒頭でも触れたように、天の管轄に入る前の亡き後すぐのまだ物質界にいる間の動物達の魂の姿は、実際に肉体の目では私は視ることが出来ません。

これは情報を受け取れる周波数帯の問題なのではないかと思います。

私は普段、天や守護存在達や自然界の精霊達など、高次の聖なる存在達(の高い波動)にメインのチャンネルを繋げており、受信可能な周波数帯は天から物質界までです。

そもそも周波数は、高くなればなるほど光に近付き、低くなればなるほど物質に近付きます。
そのため否応なく物質界は天に比べると圧倒的に波動は低くなる訳ですが、この両者の開きは大きく、両極端とも言えるほどで、本来ならそこまで周波数に開きが出ると、例えるとラジオをチューニングする時のように、電波を拾えるギリギリにダイヤルを合わすとクリアじゃないように、状況によっては拾いにくいという現象が起きてくることがあります。

我々は物質界の波動の中で生きている身ですから、物質界の周波数のチャンネルも有しているため、受信は出来るものの、周波数が下がれば下がるほど受信可能な周波数帯から離れていくことから、私の場合、下限である物質界においては、肉体を持たない存在の姿を、本来の肉体の視覚では捉えることが出来ないという現象が起こるのでしょう。

でも肉体の目では見えなくても、相手が伝えようとすればテレパシー受容体で情報を受け取り、脳内で再生は出来るので、第二の目を通してなら見ることが出来るという訳です。

ちなみに物質界の波動より低い次元となると、それすらもう不可能です。
それはいわゆる未成仏の彷徨える霊の次元です。彼らは非常に低い波動を発しているためです。

そのため私は人間の幽霊は見えませんし、繋がることも出来ません。完全なる専門外です。

しかし動物達の場合は人間とはちょっと違っていて、例えまだ天の管轄に入っていない時であっても、すでに天の存在の波動に近付いていて、(天に入っていないという意味では未成仏であっても)同じ状況下の人間に比べると往々にして波動の高さに大きな差があります。

それも彼らの存在自体が天使のようなものだからで、元々が愛のエネルギーに満ちているから、物質界で生きている時から高い波動を発しており、亡くなった後もそれは変わらない上、彼らには亡くなった直後から天の導きがもたらされてもいるからでしょう。

それは幽界に入ってからも同じで、愛の存在ゆえの元々の波動の高さに加え、動物達の魂は、自然界の精霊に近いので、天の管轄に入るともうすでに聖なる存在の波動を有するようになります。

ですから、その子その子の伝える能力によって受け取りやすい、受け取りにくいの差はあれど、動物達の魂とは私は比較的アクセスしやすいのです。

また、彼らの場合、本人が伝える能力に自信が無い場合は、彼ら自身の守護存在や天の存在達に代わりに伝えてもらうことも可能なので、その点でも私は動物達とは人間以上に繋がりやすいかもしれません。

そのせいか、例えまだ天の管轄に入っていなくても、動物達からはテレパシー受容体が情報を感知しやすいのです。

今回はそんな第二の目で見た亡き動物達の「じゃあいってきます」の事例です。

クローバー
クローバー
クローバー

【その1】

前回お話しした事例の中で、亡き愛鳥ミィくんの相棒で、ミィくんより約9ヶ月ほど早く天に帰った子のことを少し触れましたが、この子が亡くなった時のことです。

あれは亡くなってから五日目位だったか、そろそろ天に向けて旅立つ時が近付いていることを感じていた私は、亡き子に「出発する時は、もし出来たら私にわかるように合図してほしい」とお願いしていました。

その願いに応えてくれたのか、その朝、彼はその姿を私に伝えてくれたのです。

まるで何かに呼ばれたかのように、ふと目を上げた時でした。

大きい窓を背にして、小さな光輝く粒がふわっと舞い上がったと同時に、その光が翼を広げた姿のシルエットになり、みるみる大きく広がっていくのです。

そしてそれは、大きく翼を広げた鷲や鷹くらいの大型の鳥のサイズになり、生前の彼の羽色であった淡い水色とクリスタルのように輝く透明な白が混ざり合ったような光を放つのでした。

朝の透き通るような青い空気の中、その光の何と神々しく美しいことか。

鳥達、動物達、彼らの魂の姿はいつもそうです。

その美しさを表現出来る言葉がない。

写真であれ絵画であれ映画や映像であれ、この世界では目にしたこともない。ビジュアルでもきっと表現しきれない。

そしてその光は、個々みんな違っている。
その光こそ、その子の魂の本当の姿なのだと思います。

彼のそれは癒やしと救いと高貴さに満ちていて、優しさと強さを感じるものでした。

彼は小さなセキセイインコの姿と鷲や鷹のような姿の両方を備えていて、最後はまるで天の使いのような大きな鳥の姿になって、部屋いっぱいに広がる翼を一羽ばたきして天に昇るように消えていきました。

ああ、彼は本来の姿に戻って天に帰ったんだ。そう思いました。

彼は、いつかの遠い私の過去世において、かけがえ無い相棒でした。

神からのメッセージを人々に伝えていた私に、天と繋がる助けをしてくれていた白い鷲か鷹のような大型の鳥でした。

神の使いとして特別な聖なる存在であった彼。
今世でも私をとても助けてくれました。

どんなに悲しいことがあっても、つらい時でも、彼の側にいると、それがすっと消えていく。
そしてどれだけの力を与えてくれたか。

思い起こせば、彼と出会った日、私は朝からそこに行かねばならないと胸が躍り、今にも駆け出していきたいほど心がはやっていました。そこに出会うべき存在がいると…

そして彼に会いました。
一目で私が会わなければならなかった存在はこの子だとわかりました。

その日から幾年月。なぜこれほどまでに愛おしいのか自分でもわからないほど、彼はどんどん大きな存在になっていきました。私は彼が大切でなりませんでした。
彼が生きた年月は、私が彼のために生きた年月でもありました。

でも私が彼を飼っていたとか守っていたとかではない。彼が私を支え救い導いてくれていたのです。いつも、そして常に。過去世から変わらず。

彼は今世も私を助けるため来てくれて、そして、その朝、今期のその役目を終えて天に帰ったのです。

私に、過去世から何も変わらず側にいる、これまでも、これからも、と伝えるために、過去世の姿になって私に見せたのでしょう。

普段はお茶目でキュートな普通のセキセイインコであった彼でしたが、内にある魂は、彼が見せてくれたあの光のように、強く優しくも特別な神々しい力を持った存在でした。

あの美しい光と光景は生涯決して忘れることはないでしょう。彼への愛と共に…

【その2】

次も鳥の事例で、ミィ君達よりずっと以前にいた子です。

やはりその子が亡くなって5日目位だったと思います。

この時も、呼ばれるようにふと窓の外に目を向けたのです。

窓の外のベランダの格子から見える穏やかに晴れ渡っいつもの光景。肉体の目で見たら、それ以外は特に何も無い。

でも目を開けて実際見ている光景とは別に、その上にまるでかぶさるように見えたのです。

ぴょんとそのベランダの格子に飛び乗った亡きその子が、振り返ってじっと私を見ている。
まるで、じゃあこれからいってくるよ、と言うように。

ああ、もう発つ時が来たんだと察しました。
そして、いってきますを伝えてくれたんだと思いました。

私が気付いたことを確かめてから、彼は前を向き空の方に向かって飛び立ちました。そして光になって空に溶けるように消えました。

一瞬のことでした。
でも、とても鮮やかで美しく、はっきりとした光景でした。

実はずいぶん以前にも、生前仲良しだった2羽が連れ立って、様子を見に天から遊びに帰ってきてくれたことがあって、その際、窓の外に光と共に現れ、2羽が部屋の中に入ってくるのを第二の目で見ています。

だから、天に向かう道の入り口は外にあるのかなと思ったこともありました。

でも先の「その1」の事例の子の時も部屋から天に上がっているし、よく天井の方から光の粒が現れることもあるので、そう考えると天へと繋がる光の道は、部屋の中でも外でも、その時々で、どこからでも繋がっているのかもしれません。

イメージ的には、天へと向かう入り口は空間に光で示されていて、入り口の場所はその時々に変わるのかなと思います。その子にとってのその時期が来たら必要に応じて空間に自在に出現するといった感じでしょうか。
私達が認識している空間とはまた別の次元の空間がその時に交差しているのかもしれません。

あの時、彼がベランダから天に飛び去ったのは、その時に導かれた道が部屋の外の空の方だったのかもしれないし、それとも或いは、私にわかるように彼と天があえてそういう伝え方をしてくれたのかもしれないとも思いました。

でもいずれであっても、「じゃあいってきます」と旅立って行くその瞬間を見送れた、そんな思いを抱ける印象的な光景でした。

振り返って私を見つめた、色んな思いを含んだような深いまなざし。

そして最後に私に、じゃあいってくるよを伝えてから前を向いて、飛び去った後ろ姿。

光の中に溶けていった愛おしくてやまない存在…

そのすべてが、淋しいけれど、悲しかったけれど、後には不思議に、これで良かったんだ、無事にこの子の天寿を最後まで見届けられたんだという達成感と安堵感が残りました。

去りゆく者と見送る者。
残されるほうはいつも淋しく悲しい。

でも旅立つ彼らがこうして残してくれる「いってきます」はいつも優しくて暖かい。そして救われる。

別れはつらい。でもそこにもいつも深い愛がある。

そんなことを改めて思えた出来事でした。

しかし、第二の目で見た彼らの「いってきます」の例は、なぜかいつも鳥が多い。

私も不思議ではありますが、鳥達って実はすごく特別で、彼らの魂は自然界の妖精のようなものなのです。

だから、その魂は限りなく聖霊に近い。ある意味、天の使いのような存在なのです。

動物達、生き物達、草花、木々達、みんなそうだけれど、その中でも鳥はより自然界の精霊に近い特別な存在なように思います。

そんな彼らだから、亡くなった後は早々に天の存在の波動を有していて、私も彼らからのメッセージを受け取りやすかったのかもしれません。

でも次回の今シリーズ最終回予定の項にて猫の事例もお伝えしたいと思います。
すぐに書き上げられないかもしれませんが、楽しみにお待ち頂ければ有り難いです。

 

 

  

次の事例、次回に続く

 

 

 

 

 

 

  

 

 

ホームへ戻る↑