幸せな不倫①

  幸せな不倫  

 

 

 

先程、不倫を扱ったドラマが何かと話題になりました。
でも、そこで度々語られる「不倫は罪」「不倫なんかするとバチがあたる」という言葉や流れに、どうにもすっきりしない感覚を抱いてしまったというのが正直なところです。
 

不倫の恋の中にいる人はどんな思いで見たことだろう…

どこか救いを求めて見たそんなドラマで逆に、まるで世界中から責め立てられているような気持ちになっていたのではないだろうか…

でもそんな苦しさを誰にも言えず、人知れず自分を責めていたのではないだろうか…と胸が痛みました。
 

不倫は罪…
確かに今の社会的通念からすれば、人様の家庭の幸せや平穏を壊すような行いは歓迎されることではないでしょう。
 

でも、多くのご相談を通して、魂と魂の繋がりが決して今世だけのものではなく全ての出逢いには意味があることや、前世からのご縁で出逢うべくして出逢う場合も少なくない事を痛いほどわかっているだけに、社会的通念だけで「不倫は罪」と断罪してしまうことは、魂レベルでは決して出来ないことも又、知っています。
 

むしろ、誰かを心から愛することが罪になったり、そもそも罪なる出逢いなどあるのだろうかと思ってしまうのです。
本来、愛は気高く尊いもののはずなのですから。
でもあえて言えば、その愛を罪にするも、かけがえないものにするも、結局は自分次第なのかもしれません。

けれどそれに気付けないまま、長く険しい魂の旅路の末にやっと巡り会えたせっかくの出逢いの奇跡を、苦しみにしてしまったり罪にしてしまっている人が少なくないのです。とても残念で勿体無いことだと思います。
 

人を愛することを苦しみにしてほしくない。自分も周りにも悲しい想いをさせる関係にしてほしくない…

そう願いつつも現実には、どんなに社会に嫌悪される関係であろうとも、どんなに切ない恋であろうとも苦しくとも、その激情に身も心も焼かれながら今日もこの空の下、人知れず涙を隠し、あえて苦しみを1人背負い棘の恋に身を投じている人が沢山いるのもまた事実な訳で、妻子ある人あるいは夫と子供のいる女性を好きになったというご相談も鑑定の中でも群を抜いて多いものです。
 

しかしその一方で、不倫といえども幸せな関係を結んでいる人もいるのも又、事実です。
不倫は苦しくて罪なものなどという概念や悩みとは全く無縁に、毎日を喜びで過ごしている人達も少なからずいるのです。
この両者の差は一体何なのでしょう。

それは結局のところ、相手を自分の欲に当てはめようとするか、相手の全てをそのまま丸ごと受け入れ愛するか、の違いなのではないかと思います。
 

不倫というのは制限のある関係です。
だから例えば「自分一人だけのものじゃない」「一番になれない」「いっしょに暮らせない」等々、満たされない思いが何かと付いてまわります。満たされないから苦しみが生まれるのです。

そしてその苦しみの根底には、自分でも気付いていない「相手に自分の望み通りになってほしい」という潜在的な欲が存在しているものなのです。
 

不倫に限らず、人は相手との関係が深くなればなるほど、相手にこうあってほしいという願望を持つようになりがちです。
相手がまるで自分の一部であるかのように自分の夢や希望を相手に重ねてしまうのです。
そして相手が自分の願望を叶えてくれる存在であることを心の内で強いてしまうのです。
それだけその相手が自分の生活や人生に大きく関わっているからこそでもあるのですが、誰しもが自らの人生の主人公であり、相手には相手のその人だけの魂の目的があるのだから、自分の意のままに他者をコントロールすることなど、どんなに親しい間柄であっても本来は不可能なものです。
それゆえ人は、自分の願望とそうならない現実の間で悩みを生じさせてしまうのです。
まして不倫という制限のある関係なら尚更です。
 

例えば、「自分は子供が欲しいから年齢的にもそろそろ結婚したい。結婚するなら彼としたいから早く奥さんと別れてほしいのに、なかなか別れてくれない。このまま彼を待っていていいのか。結局彼が離婚出来ず、ずるずる待ってやっぱりダメだったなんてことになったら結婚も子供を持つことも出来なくなる」と悩んでおられる方達も少なくありません。

 

結婚・出産という人生の重要な選択の時期にある30才前後から40才位の不倫の恋をしている女性に特に多いと言えます。

これからの自分の人生を大きく左右することですから、それも当然でしょう。
また愛する人と家庭を持ち、その彼の子供を産みたいと思うのも、女性であれば当然でしょう。

もしもその人と一緒になれなかった時、気がついたら婚期も逃し、ひとりぼっちになってしまうんじゃないかという不安も当然よぎるでしょう。

でも悲しいかな、実はそれらもやっぱり自分の都合であって、自分のこうあってほしいという願望が2人の関係の大前提となってしまっているのです。

だから中々そうならないと、相手の愛情さえ疑わしく感じてしまったり、自分の望む通りにならないことが苦しみや不安を生んでしまっている方も少なくありません。

でも想像してみて下さい。もしそんな前提に縛られず、純粋に2人の絆を楽しめたなら、どれほど楽か。
 

相手には相手の魂の目的があることを理解し、今の相手の現状もそれが形になったものだと大きな目で相手を見守り魂の目的を果たせるよう応援出来れば、どれだけ2人の絆をも強く出来るでしょう。

それが相手の全てを受け入れて愛するということなのではないでしょうか。
幸せな不倫をしている人達は、実はそれが出来ているのです。自分で気付いている、いないに関わらず…

そもそも、人が夫婦になる場合、過去世で生じた課題へのリベンジであったり、2人の関係の修復であったり、相手を助ける(救済の)ためであったりと、多くが過去世から繋がる何らかの魂の目的が背景にあったりするものです。

 

鑑定を通し推察するに、世の夫婦の約七割位が過去世でも繋がりを持っていると仮定すると、その七割の内のそのまた七割位が上記の魂の目的による夫婦に当てはまるのではないかという感覚を持っています。
それほどに俗に言うカルマ的な縁で夫婦になっている人達が多いということです。
当然、そこには償いや成長、学び、救済といった課題があるのですから、世の全ての夫婦達皆が好いた惚れただけで繋がっている訳では無いのです。中には夫婦であること自体が苦行である人達もいるでしょう。

しかしどんなにその夫婦の関係がうまくいっていなくても、魂の課題を果たすまでは離婚したいと望んでも様々な状況がそれを邪魔するかのように中々実現には至らなかったりする例が多いものです。うまくいかない苦しさもまた魂が選んだ課題のための体験なのかもしれません。

苦しいから、家庭以外に癒やしや喜びを求めてしまい、不倫の恋に落ちる人もいるでしょう。
例えばそんな既婚男性を好きになって不倫の関係のつらさに悩む女性も多い訳です。

「彼は私を愛していると言うけど奥さんと別れてくれない。本当に愛してくれているんだろうか」と彼女達は悩みます。

でも、はなから遊びのいい加減な男性は別にして、そういうご相談者の女性を鑑定すると、お相手の男性は本当に彼女のことを愛している場合が多いのです。

そして彼らとて苦しんでいるのです。出来ることなら離婚して彼女と一緒になりたいと願っているのです。でも様々な状況がそれを許さない。

 

現実的にも、今の社会的通念において男性は女性以上に家族を養い守らねばならない責務が重いのです。男性にとって結婚とは妻になる女性と生まれてくる子供の人生に責任を持つという契約です。守られる立場の女性とは立場も責任の重さも異なるのです。
嫌になったから別れるなどと自分の都合だけで責務を放り出す訳にはいかないのです。
そういう現実的な問題の上に、魂の課題もそこにあれば、なおさらに状況は離婚を難しくしてしまうでしょう。

でも彼女達はそれを許さない。離婚出来ない彼らを「私のことを愛していないの?」と責め、愛を疑うのです。私か家庭かと彼らに決断を迫るのです。

彼らにしてみたら、責任と愛を天秤にかけねばならない。どんなに心では愛を選んでいても、彼らの肩に子供や妻、両親等、家族の生涯への責任が重くのしかかり追い詰められていくのです。

彼らは「このままの関係ではダメなの?愛があれば形なんてどうでもいいんじゃないの?」と彼女達に問うでしょう。

 

でも彼女達は「やっぱり私とは遊びなの?」「どうして私とは結婚できないの」「私なんてどうでもいいのね!」と嘆き、「私を選ぶか別れるか、はっきりして」と、なおさら食ってかかってしまうのです。
自分の都合を叶えてくれることを強いるあまりに彼らを苦しめていることに、頭ではわかっているつもりでも真にそれを心の目で気付くことが出来なくなっている女性達も悲しくも少なくはありません。

究極の選択を迫られ、泣く泣く愛する彼女を失わなければならなくさせるのは、皮肉にもその愛する彼女その人なのですから、あまりに悲しいではありませんか。 

 

でももし彼女達が彼らの魂の目的や彼らが背負う責務を理解し、寄り添い支える立場にまわれたら、彼らに究極の選択を強いて2人の関係を断ち切る結果を招かなくても済むかもしれないのです。

結婚だけが愛の形ではないのです。
その人自身を愛しているなら、形がどうであれ相手の状況すら含めた全てを受け入れて共に寄り添い生きていくことも出来るのです。

その結果、2人の繋がりを現世の恋人という関係以上のものに、それこそソウルメイト的な時空を越えた魂と魂の繋がりに育てていけるかもしれないのです。

 

しかしその逆に、まだ離婚にあたっての様々な問題を抱えたままなのにも関わらず、たとえ仮に彼を離婚させることに成功しても、失わせた家庭に彼の魂の課題が残っていたら、課題を途中放棄させることにもなります。すなわちそれは彼に更なる課題を上乗せさせ繰り越させるということでもあり、彼の魂の成長を妨げることにもなるかもしれないのです。
また、そうさせた自分自身にも何らかの課題を生じさせることになるやもしれません。

 

それは彼が背負う課題を、人生と魂をかけて今世のみならず未来の世にも共に背負う位の覚悟が必要になるということでもあります。

 

そしてそれはまた、「愛する人と一緒になって幸せな家庭を築く」という望みとは程遠い棘の道となる可能性だってあるかもしれないのです。

 

それでもいいと思えるのなら、またそれだけの覚悟を持って愛せるなら、良きも悪きも例え結果がどうあろうとも、自分の人生を決めるのは自分なのですから、選択の自由は責任も伴うことだけは忘れないように、一時の激情に流される事無く、後悔なき選択をしてほしいと思います。

 

でももし、それだけの覚悟が持てそうにないのなら、残念ながらそれは、その人自身を愛しているのではなく、自分でも気付けていないかもしれないけれど実は結婚や自分の願望を愛しているのかもしれません。その願望を叶える存在になってくれるように相手に強いていただけなのかもしれません。

 

いずれにせよ少なくともこれだけは忘れないでいてほしいのです。自分の願望を叶えるために現状を無理やり歪ませ、相手も苦しめ、まわりにも悲しい思いをさせ傷付けて、略奪のごとく無理やり自らの願望を手にしても、それはきっと自分自身の魂の望む計画ではないはずだということを。

 

そうして得ても、その先、自分の魂の意思に反する選択の結果として色んな問題も出てくるかもしれませんし、こんなはずじゃなかったと思うことになる可能性だってあるかもしれません。

 

「自分さえ良ければいい」では、自分も相手も、真の幸せは得られないでしょう。出来れば、そんな生き方や愛し方はしてほしくはありません。
本当に魂の計画で一緒になることを決めている2人ならば、特別な働きかけをしたり強引に迫って自らの我欲を押し通さなくとも、本人達が強く望むなら、時期が来れば運命の大きな波に引っ張られるように、抱えていた様々な問題も雪が溶けるがごとく円満に解決し、誰も傷付けることなく自然に一緒になる流れになるものです。

 

逆に言えば、自然の流れでそうならない場合は、その選択が互いの魂の計画にはないか、時期が「今」ではないのです。

 

また、例え今世では夫婦という形が魂の計画ではなかったとしても、側で共に泣き笑い、互いの魂の課題を果たすために支え合うという強い魂の絆と計画で結ばれた関係だってあります。それは魂レベルで見たら夫婦以上の繋がりである場合もあるのです。

 

魂の絆で結ばれた2人なら、夫婦という形にこだわらなくとも、互いを大切にしあえる良い関係であれるはずです。

 

結婚や自分の願望にこだわるあまり、白か黒かの決断を急いで、そういうせっかくのご縁を断ち切らなくとも、皆それぞれに魂の課題があることを理解して、いつか一緒になれる時が来たらという気持ちで、相手が無事に魂の課題を終えるまで互いに支えあい応援しあいながら待てば良いのです。
その暁には、互いの魂の計画に2人の結婚があろうとなかろうと、晴れて一緒になれることでしょう。

でもやっぱりどうしても自分は結婚出産を優先したいから、いつまでも待ってはいられないという方もおられるでしょう。出産には適齢期もありますからそれも切実な現実です。

 

そんな時は内なる自分の声に耳を傾けて、じっくり自分と向き合ってみて下さい。
自分が本当に望んでいるのは不倫の彼との愛なのか、結婚出産なのか。
どちらも叶えばそれが一番でしょうが、もしどちらかを選ばなければならないとしたら、自分にとって大切なことはどちらなのか。

 

その結果、結婚と出産が自分のこれからの人生にとって何にも勝り欠かせないと思うなら、それも自分の魂の望む生き方であり計画かもしれないのだから、自分が真に望む時はそれに従えばいいのです。

ただし、その相手は離婚がままならない彼ではないかもしれません。
その時期に一緒になれないのも、またそこにきっと理由はあるのです。

 

自分自身の魂の計画に、伴侶になる違う誰かとの出逢いが待っているのかもしれないし、或いは不倫の恋の彼とでは自身の魂の課題が果たせないからなのかもしれないし、或いは相手には相手の違う人生があるからなのかもしれないし、また或いは今はまだその人と一緒になれる時期ではないのかもしれないし、理由は各々様々なれど、そこに自分のこれからの人生のための魂の計画がきっとあるからなのです。

だから、例え別れを選ぶことになっても、自分は彼に選んでもらえなかったと思ってほしくはないのです。
自分と相手の家庭を天秤にかけて、選ばれなかった自分を卑下したり心の傷にしてほしくないのです。相手には相手の、自分には自分の、魂の目的があるからなんだと知ってほしいのです。

どんな出逢いにも必ず意味はあります。
相手が自分を愛してくれたその想いを大切に、相手のことも自分のことも幸せであれるよう願い感謝してほしいのです。

例え互いに別々の家庭を持とうとも、別々の人生を歩む選択をしようとも、魂の絆があれば、また別の違う形での新たな関係を築いていくことも出来るでしょう。

 

幸せな不倫関係を築いている或るご相談者は言いました。

「今ある状況は、彼の人生にとって必要だからこそ在るんだと思うから、彼の魂の計画を尊重し、彼に関わる全ての人達に感謝したい。
その人達なくして彼の魂の計画は成し得ないのかもしれないし、彼の魂の成長のための協力者なのですから。

だから私は彼の家族みんなを、奥様も子供達のことも愛していますし、幸せを願っています。
彼と一緒に、私も彼の大切なものを愛し守りたいのです。彼の人生に寄り添いながら共に生きていたいのです。彼に出逢えて、こんなふうに愛せて、私は毎日幸せです」と。

幸せな不倫とは、いつか夫婦になることだけじゃない。
関係を越えて、互いを尊重しあい相手の全てをそのまま受け入れ愛することです。

そして共に魂の成長をしていくことです。まるで魂の親友のように助け支えあいながら…

そこから生まれる絆は夫婦だとか不倫だとかの関係を越えて、かけがえない人生と魂の宝となるでしょう。

幸せな不倫をしている人達は、そうして皆、不倫を苦しい恋にしてしまう自分の願望という「とらわれ」から自分を解放して、巡り会えた喜びを、愛し合える喜びを、謳歌しているのです。

一口に不倫といっても、実際は愛し合う男女の数だけ色んな愛の形があるものですから、全ての人にこれらのメッセージが当てはまる訳ではないかもしれません。

でも結局は、不倫を罪で苦しい恋にするか、かけがえない愛にするかは自分次第なのだということをまず知っておいてほしいと思います。

 

相手を愛するように相手の家族をも愛し、自分を含めたみんなが幸せであれるよう願える2人であれば、2人の関係を罪にしてしまわないことも出来るはずです。

「でも私はそんなふうに悟れない」と思われる方もおられるでしょう。
しかし幸せな不倫をしている人達皆全てが初めからそんなふうに思えるようになった訳ではないのです。
苦しみ、もがき悩んでいた人だっているのです。

 

でも2人が出逢った意味や魂の目的を知ることで、悩みから解放され、幸せな関係を築けるようになった人達を鑑定を通し、沢山見てきました。

 

もしあなたが不倫の恋に悩んでいるなら、ご相談下さればお力にならせて頂きます。

 

でも結局はそれをきっかけにして、どう変わるか、どう変えていくかは、自分次第です。
あなたの人生はあなたのものであり、どんな人生を築いていくかは、あなた自身が決めていかねばならないのです。

 

そのためのお伝えはいつでもさせて頂きます。
気付きを、かけがえない未来の第一歩にして頂くことを心から願っております。

 

 

 

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