シリーズ/死後の動物達②

シリーズ死後の動物達

 

 

  「じゃあ、いってきます」①
~シリーズ/亡き動物達からのメッセージ~

  

 

天に帰るために旅立つ亡き子を見送る時

沢山のありがとうと沢山の愛してると共に、無事に天に戻れることを祈り、「いつかまた天で一緒に暮らせるその日まで、きっと待っていてね」と願い、「いってらっしゃい、また会おう」と送り出す。

それと同じように、旅立つ亡き子もまた、「じゃあ、いってくるよ」と私達に伝えている。

沢山の愛と共に…


前回のお話しに関連して、今回も亡き動物達の旅立ちの時のことをお話ししたいと思います。
でも今回は見送る側の私達ではなく、旅立つ側の動物達に目を向けてみます。


前回も少し触れたように、動物達は死後約一週間前後の後に、天の管轄である幽界にまず入ります。

ここは帰るべき天である霊界に入るまでの準備とリハビリの層で、人間で言うことの四十九日位の時間をここで過ごします。

(これらの詳細は過去にも何度か触れており、『死後の動物達①/ハムスターのター子ちゃんとシマリスのチビちゃんの事例』の項でも詳しく書いておりますので、ご拝読頂ければと思います。)

私が光の扉とよく表現する、最初の天の入り口であるこの幽界にさえ入ってしまえば、まずは一安心と言えます。

早い子は3日位、長い子は二週間近く、と、個々差はありますが、その幽界に入るまでの死後約一週間前後が、人間で言うことの初七日のようなものかもしれません。

ではその間、彼らがどうしているかというと、生前と同じように、まだそこにいて、見えないだけでこれまでと同じように家で過ごしていることが多いです。

でも死はちゃんと受け入れていて、時が来たら行くべき所に向かわなければならないこともわかっています。

愛の中でその生を終えた子達は、愛に守られ、その愛が天からの導きを助ける光となるからです。

(でも哀しいことに、虐待や殺処分や残酷な仕打ちなど、愛を得られなかった子は、光を見失い魂が迷うことも少なくありません。)

愛する家族の温もりや姿や声に、今しばらく包まれて、その来たるべき旅立ちの時までに心の準備を整えながら、今まで共に暮らした日々と沢山の楽しかった思い出を抱きしめるように、彼らもまた、名残を惜しむのです。


よく亡き動物達の様子が知りたいという鑑定の際にご相談者の方が、亡き子の死後、日がまだ浅い時期に「鳴き声が聞こえた」「足音がした」等、亡き子の気配を感じたと仰います。

そういう時は、気のせいではなく、実際にそれが亡き子のものであることが多いです。

そして、それは彼らが意図的に、悲しみに暮れる私達に、「ここにいるよ」と知らせようとしている場合も少なくありません。

ただ、動物達にも人間同様、霊的な能力には差があって、それが良い悪いではなく、例えば遠くを見るのが得意だとか、かけっこが得意だとか、手先が器用だとか等々があるように、霊的能力に長けているというのも、そういうひとつの個性に過ぎないのですが、やはり霊的能力の高い子の方が、テレパシー的に思いを伝えたり、亡き後に音や声や気配で知らせたりするのが得意なようです。

勿論、それを感じ取る人間側にも、敏感に察知する人もいれば、あまり感じない人もいる訳で、動物達と人間側、両者が霊的感受性が高ければ、タイミングさえ合えば、それだけ動物達も伝えやすいし、人間側も感じ取れやすいのです。

ですからいくら人間側に霊的感受性の高さがあっても、亡き動物の側があまり霊的な力を使うのが得意じゃない場合は、感じたくても感じ取りにくくなってしまいますし、その逆も然りです。

またエネルギーの波長がうまく合うタイミングというのもあって、それは例えば、ラジオの周波数のように、綺麗に電波が入る時もあれば、少しラジオのチャンネルのダイヤルを調整しなければならない時もあるように、先程「タイミングが合えば」と申し上げたのはこういうことで、両者の波長がうまく合うことで、感じ取れやすくなったりするのです。

つまり、そういう色んな条件がうまく噛み合って初めて、私達人間側が亡き子の気配を感じ取れている訳です。

実際私も、うちの亡き子達において、霊的能力の差から来る個々の伝え方の違いをこれまで感じて来ました。

テレパシー的に伝えてくる子もいたし、視覚で伝えてくれた子もいました。音で伝えてくれた子もいたし、夢で伝えてくれた子もいるし、わかるように合図してねとお願いしたのに応えてくれた子もいました。

でも中には、全く何の音沙汰もなしの子もいるのです。
そういう子は本当に、ただ伝えるのが下手くそなだけなんです。だから本人もちょっとガッカリしていたりする。
でも、私からすれば、そういう所もまた「あの子らしいな」と愛おしかったりもするものです。


このように、悲しみの中にいる私達にしてみれば、亡き子の気配を感じ取ることが出来るならば本当に嬉しいことですが、感じ取れなくてもガッカリすることはありません。

例え何も感じなくても、感じ取れないだけで、彼らがそこにいることにも、伝えようとしていることにも、何ら違いは無いのです。

どの子も同じように、悲しむ家族を心配し、「大丈夫、ちゃんとここにいるよ。心配しないで。そんなに悲しまないで。」と伝えたいと思っている。そして懸命に伝えようともしているのです。


そうしていよいよ迎える旅立ちの日。

このままここでこうしていたい。そんな後ろ髪引かれる思いも当然どこかにあるでしょう。

でもそれでは、これからの未来、愛する家族を天の存在として守ることも出来ない。

これからは、僕が、私が、大きな力となって、みんなを守る。だから、天に戻るんだ。

そんな思いと愛する家族のための新たな使命を持って、彼らは天へ帰って行くのです。

自分が天の存在に戻ったら、愛する家族の悲しみだって天からの愛の力で癒やすことが出来ることや、これからの家族の人生を今までとは違う形で助けることが出来ることを、彼らは知っているのです。

それも天という場所が愛という高い波動のエネルギーの層であるがゆえです。

生きている時も守る力はあります。物質界には物質界ゆえのエネルギーがあるからです。
でも肉体が無くなって自分が物質界の存在で無くなってしまったら、そのまま物質界に留まっては徐々に、その力も失せていく。

守る力を取り戻し、新たにも得るには、帰るべき天に戻るのが一番なのです。

愛の中でその生を終えた彼らが、まず迷うことなく、天からの導きに従うのも、順当に天に戻っていくのも、ただ帰らなければならないからだけではない。
そこに彼らの大きな愛もあるからなのです。

だから、彼らは、さよならではないのです。じゃあいってきます、なのです。

鑑定をしていても、亡き子から「さようなら」の心の声は、まず感じません。
別れの言葉ではないのです。

彼らはみんな「またすぐ会える。だから悲しまないで」…なのです。

いつも思うのは、それはまるで、人間で言うことの、留学とかに出るような感覚に似ているのかもしれないということです。

それは、これまでの自分以上の自分になるために進む次のステップ。

共に生きたこれまでの日々の中で、愛する人達のために自分がすべき役割を無事に「やり遂げた満足感」と、愛する存在達を今以上に守れる力を得るという「新たな使命」を胸に抱いて、彼らはこの世を旅立っていくのです。

だから、旅立つ時の彼らは、いつも、すがすがしいのです。
それは、案外あっさりしてるようにも思えてしまうほどです。
まるで笑顔で、じゃあいってきますと、留学先に向けて出発するかのように…

見送る私達より、彼らの方が前を向いているのかもしれませんね。

動物達って凄いな。愛ゆえの強さと大きさを持っているな。と、いつも感じてしまいます。


さて、そんな旅立つ彼らの「いってきます」の実例を、今回は、私自身の体験の中から、いくつかご紹介させても頂こうと思います。


当ブログ初期の頃に書いた『視えた!』の項で、亡き愛鳥の魂の姿を視た時のことと、それより以前に書いた亡き愛犬の魂の姿を視た時のことを抜粋し貼付していますので、こちらも宜しければご拝読下さい。

ただし、これらは彼らが幽界に入ってしまってからのことで、彼らは既に半分、天の存在になっている状態での姿ですから、厳密に言うと、今回のテーマである旅立ちの時のいってきますではありません。

ですから、今回は、住み慣れた我が家からの最初のいってきますの時に絞ってお伝えしたいと思います。
 

 
 
次の事例はこちらからご覧下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

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